街の頼れるドクターたちvol.025
中学2年生のころに母が大病を患ったことがきっかけです。母は婦人科の病気で手術を受けたのですが、術後、医師がお腹の中にガーゼを置き忘れていることが分かり、再手術を余儀なくされました。母は今も健在ですが、私はこの事故に大きな憤りと悲しみを感じました。「患者さんやその家族に寄り添える医者になりたい。」当時は子どもでしたから漠然とした思いではありましたが、こんな風に考えるようになり、医学部に進みました。母の一件は、医師になって16年が経つ今でも心の中で生きていて、患者さんの思いを言葉だけではなく表情や声色からも汲み取りたい、患者さんだけでなく、ご家族の気持ちも考えて診療したいと思っています。
先ほどお伝えした経緯から、医学部に進んだ当時は婦人科医になりたいと考えていました。しかし、大学で学ぶうちに「道に倒れている人をすぐに助けられる医者になりたい」と思うようになり、救命救急の現場を見学したところ、搬送原因の多くが循環器疾患であることが分かりました。それで、卒業後は循環器内科に進み、カテーテル治療(細い管を血管の中に入れて狭くなった血管を広げるもの)などを通して心臓や血管が関わる病気の治療を行っていました。
はい。私は手技が好きだったので循環器内科での診療は非常に充実していたのですが、それと同時にこの科は大変ハードでした。結婚や出産というライフステージの変化を経るにつれ、第一線に立ち続けるのが難しくなっていったことも事実です。そんな中、魅力的に映ったのが日帰りで手術ができ、患者さんの満足度も高い下肢静脈瘤の治療でした。2015年ごろから非常勤で別のクリニックで働き、経験を積んだ後、2016年に大宮静脈瘤クリニックの院長に就任しました。私自身が埼玉県民なのですが、住みやすい埼玉が好きで、また埼玉県民のかざらない人柄にも魅かれていたので、お話があったときはすぐに快諾しました。
大宮静脈瘤クリニック
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